しあさっての方には何があるでしょうか
知らなくてもいい日常を知ってしまう場所 ブログという名のネタ帳
家族そろっての徹夜
今週全然書いてなくてすいませんでした。
そのことで昨日の新歓イベントの為に帰るのが遅くなったとか新歓イベント本番終わってからもすごい帰るのが遅くなったとか新歓イベントのこととか今日行くはずだった飲み会のこととかいろいろ書こうと思ってたんですが、今日すべて吹っ飛びました。
本日未明、程も行かないですね、午前三時ごろ、祖父が亡くなりました。九十五歳でした。
自分が高校一年の時から寝たきりになり、入退院を繰り返していました。それでも、毎回何とかかんとか回復していました。その途中で、祖父はだんだん話もしなくなっていきました。
今回も二十日くらい前から入院していました。父と母はもう危ないかもしれないと言っていたのですが、自分は多分大丈夫だろうと何の根拠もなくそう思っていました。
しかし、今回は祖父の体力も力つきてしまいました。
今日午前三時前に、家に電話がかかってきました。ウチの電話は子機が壊れ、親機しかなく、それに一番近い部屋に寝ようとしていた自分が電話をとりました。こんな夜中に電話するとか誰だよーと思いながら、しかし心の片隅では最悪の事態を想定していたのでしょう、心臓が早鐘を打っていました。
「○○病院のものですけど・・・」
電話の相手は祖父の入院先の病院の看護師さんでした。いわゆる危篤状態なのだということを告げられ、心の隅の予感は確信に変わりました。
すでに寝ていた父と母をたたき起し、あわてて着替えて病院へ直行。ついたのは四時過ぎでした。
三人で祖父のベッドに駆け寄り、手を握ったりしていましたが、看護師さんに「もう・・・」と言われ、すでに息を引き取っていることを知りました。電話が来てからすぐのことだったようです。
家の近くに住んでいる親戚のおばさん(祖父の娘、父の姉)も駆けつけ、最後のお別れをしてから帰宅。親戚のおばさんの車には母親も乗り先に帰り、父の車には自分が乗り、そこに祖父の亡骸も乗せられました。
帰る頃には車のヘッドライトが必要ないくらいに空が明るくなっていました。
家に帰ると、母とおばさんが大騒ぎして、葬式の準備をする為に家の掃除をしていました。掃除と言うか物の大移動です。
客間とそれの隣にある仏間のタンスやら何やらがすべて片づけられ、廊下につながる引き戸も取り払われ、終わってみれば「ここってこんなに広かったんだ」と19年住んでいる自分が感じるくらい物が移動していました。
そのあと車に乗ったままだった祖父の亡骸を家の中に運び(遅い)、布団に入れさせたくらいで、ちょうど朝の七時くらいでした。ここで朝ご飯を食べ、親戚関係に電話をし、葬式を取り仕切る人にも連絡をしました。そして朝三時から起きていたのでちょっとだけ昼寝じゃなくて朝寝。
自分が携帯でかけた目覚ましよりも少し遅く起きると(もちろん自分だけ)(何やってんだ)、近所の集落の人たち、そして親戚の一部が家に集まっていました。すでに決まった葬式の時間などを聞くために集まるのです。
葬式の時間、出棺の時間を伝え、人が帰ったり残ったりでバタバタしていると、葬儀屋さんが来て、片づけられた部屋に白黒の幕を張っていきました。もう、幕が部屋全体に張られると、自分の家ではないような気がしてきます。
そのあとも昼ごはんを食べたり大学の同級生に休むことを連絡したり今日行くはずだった飲み会(しかも幹事)のキャンセルを出したりいろいろしてバタバタしてました。
自分だけはもうちょっとだけ昼寝もさせてもらいましたが、父と母とおばさんはずっと寝ずに働いてくれてます。
明日は葬儀屋さんに他の葬儀が入っているらしいので、通夜は明日、葬式は明後日になりました。
日曜日の朝は多分更新できないと思います。夜更新できるように頑張ります。
今日は早く寝る。
そのことで昨日の新歓イベントの為に帰るのが遅くなったとか新歓イベント本番終わってからもすごい帰るのが遅くなったとか新歓イベントのこととか今日行くはずだった飲み会のこととかいろいろ書こうと思ってたんですが、今日すべて吹っ飛びました。
本日未明、程も行かないですね、午前三時ごろ、祖父が亡くなりました。九十五歳でした。
自分が高校一年の時から寝たきりになり、入退院を繰り返していました。それでも、毎回何とかかんとか回復していました。その途中で、祖父はだんだん話もしなくなっていきました。
今回も二十日くらい前から入院していました。父と母はもう危ないかもしれないと言っていたのですが、自分は多分大丈夫だろうと何の根拠もなくそう思っていました。
しかし、今回は祖父の体力も力つきてしまいました。
今日午前三時前に、家に電話がかかってきました。ウチの電話は子機が壊れ、親機しかなく、それに一番近い部屋に寝ようとしていた自分が電話をとりました。こんな夜中に電話するとか誰だよーと思いながら、しかし心の片隅では最悪の事態を想定していたのでしょう、心臓が早鐘を打っていました。
「○○病院のものですけど・・・」
電話の相手は祖父の入院先の病院の看護師さんでした。いわゆる危篤状態なのだということを告げられ、心の隅の予感は確信に変わりました。
すでに寝ていた父と母をたたき起し、あわてて着替えて病院へ直行。ついたのは四時過ぎでした。
三人で祖父のベッドに駆け寄り、手を握ったりしていましたが、看護師さんに「もう・・・」と言われ、すでに息を引き取っていることを知りました。電話が来てからすぐのことだったようです。
家の近くに住んでいる親戚のおばさん(祖父の娘、父の姉)も駆けつけ、最後のお別れをしてから帰宅。親戚のおばさんの車には母親も乗り先に帰り、父の車には自分が乗り、そこに祖父の亡骸も乗せられました。
帰る頃には車のヘッドライトが必要ないくらいに空が明るくなっていました。
家に帰ると、母とおばさんが大騒ぎして、葬式の準備をする為に家の掃除をしていました。掃除と言うか物の大移動です。
客間とそれの隣にある仏間のタンスやら何やらがすべて片づけられ、廊下につながる引き戸も取り払われ、終わってみれば「ここってこんなに広かったんだ」と19年住んでいる自分が感じるくらい物が移動していました。
そのあと車に乗ったままだった祖父の亡骸を家の中に運び(遅い)、布団に入れさせたくらいで、ちょうど朝の七時くらいでした。ここで朝ご飯を食べ、親戚関係に電話をし、葬式を取り仕切る人にも連絡をしました。そして朝三時から起きていたのでちょっとだけ昼寝じゃなくて朝寝。
自分が携帯でかけた目覚ましよりも少し遅く起きると(もちろん自分だけ)(何やってんだ)、近所の集落の人たち、そして親戚の一部が家に集まっていました。すでに決まった葬式の時間などを聞くために集まるのです。
葬式の時間、出棺の時間を伝え、人が帰ったり残ったりでバタバタしていると、葬儀屋さんが来て、片づけられた部屋に白黒の幕を張っていきました。もう、幕が部屋全体に張られると、自分の家ではないような気がしてきます。
そのあとも昼ごはんを食べたり大学の同級生に休むことを連絡したり今日行くはずだった飲み会(しかも幹事)のキャンセルを出したりいろいろしてバタバタしてました。
自分だけはもうちょっとだけ昼寝もさせてもらいましたが、父と母とおばさんはずっと寝ずに働いてくれてます。
明日は葬儀屋さんに他の葬儀が入っているらしいので、通夜は明日、葬式は明後日になりました。
日曜日の朝は多分更新できないと思います。夜更新できるように頑張ります。
今日は早く寝る。
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